シャボン玉とんだ

b0126098_21384891.jpg休みになると決まって出る子供たちの攻撃が、「今日はどこ行くん?」(娘)とか、「公園行くん?、海行くん?」(息子)とか・・・。
放っておいたり、「どこも行かない。ずーと家で休む。」などと言うと、息子は「公園行きたかったぁー」と泣き出す始末。
収拾付かなくなる前に、まずは海へと出かけました。

しかし今までの穏やかな陽気から一転、ここ数日しっかりと冬日が続いています。
しかも今日は風も波も強く、更に満潮とも重なって、砂遊びも貝拾いも苦痛そのもの。結局海で弁当食べて、そのまま公園へと向かいました。

向かった先は杵築城。
城内には、こじんまりとした公園があります。そこには広場があり、遊具が設置してある、どこにでもあるような当たり前の公園になっています。
そこで子供達はブランコに乗り、滑り台で遊び、シーソーをして、と駆け回ります。
それに付き合うとこっちはクタクタ、仕事より疲れるという事態を招いてしまいます。
そんな時思い出したのが、(そう言えば、車にシャボン玉が積んであったな。あれなら疲れないしな・・・。)なんて事。
早速取り出して子供に渡せば、見事にこちらの思惑通りに熱中してくれました。
しかしそうなると、(これはこれでヒマだな・・・。)などと勝手なことを思いつつ、ボンヤリとしていました。

そしてシャボン玉に興じている子供たちを眺めていると、つい口ずさみそうになるのが、「♪シャボン玉飛んだ~ ♪屋根まで飛んだ~・・・」と、誰もが一度は歌ったことがあるであろうお馴染みの曲。
私もつい頭の中で思い浮かべていました。
しかもこの曲「♪屋根までとんで~ ♪こわれて消えた」と続きます。
詩の中に哀しみが漂う歌。

この詩については作詞の野口雨情が、自分の子を生後間もなく亡くしてしまったことで創作された、と言うことは知っていましたが、(確か二番は後から足されたんだったよな。)とふと思い、家で検索してみました。でもそんな事実は出てこなかったので、どうやら私の記憶違いだったようです。
(でも元々この詩は一番だけで、二番はその後に足されたと長い間思っていたので、何となく釈然としませんが・・・。)
多分二番はもっと哀しいので、私が勝手にそう思い込んだのかもしれません。

とりあえず詩の全文を、

1.シャボン玉とんだ
  屋根までとんだ
  屋根までとんで
  こわれて消えた

2.シャボン玉消えた
  飛ばずに消えた
  生まれてすぐに
  こわれて消えた

  風 風 吹くな
  シャボン玉とばそ

多分仮名使いが違うと思いますが、こんな詩です。
シャボン玉を“命”と捉えると、一番はとても哀しく、二番では更に胸騒ぎがする感じ。
はっきり言って二番の詩を、私は要らないと思っていました。
だから記憶違いをしていたのかな、とも思いますが、結局なぜかは・・・。
二番を考えると、シャボン玉は“命”ではなく“情熱”ぐらいに捉えた方が気楽です。

何か長くなりましたが、こんなとりとめの無いことを考えながら、我が家の子供達に対しては「風よ吹くな」とやはり願います。

でもそんな時、「ちょっと待てよ、シャボン玉は風が無ければ舞わないから、こわれない程度の風は必要なのか・・・。」などと、ダラダラと考えていた休日でした。
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by mokkoubou_yabuki | 2008-01-14 21:44 | 暮らし | Comments(0)